身毒丸 復活・2月20日名古屋初日。

3列目上手にて観劇。
観辛いなぁ、段差ZEROだし…
私の正面は、母の写真を握り締め身毒が座る電柱。(爆)

客層は、珍しく殆どが地元の方と思われました。
ファンクラブの皆さんは未だ、時差ぼけがお辛いか
ワシントンのお疲れが溜まり、出だしは緩やか。

私の身毒丸は、完全にファイナル大楽にて封印されて
おりました為、実際に拝見する迄は何とも息苦しく。
火花が散り始める中、汽車の汽笛が鳴り
激しいフラッシュバックに襲われる。
嗚呼懐かしや、神棚に鏡餅。
初見の時に、口を開けて只呆然と見上げた鏡餅。
       (@0@;)…
舞台縁に迫りゆく、嗚呼!股間に鏡餅。(←煩い)

愛知厚生年金会館、この演目には奥行きも浅いし
舞台幅が狭過ぎ。

群衆の中から、心許無い身毒丸が現れた。
くるくるパーマの身毒かぁ…
第一声『まなざしの…』

一番懼れていたことではありますが、もうこれは多分
どんなに身毒丸の世界に堕ちていっても、私の中で
取り払うことが叶わない絶対的な主観。
竜也さんは、25歳。

喉が鍛えられているので、声が太くなっているんですよ。
地獄の幕での『髪切虫出て来いっ!』は、初演の
録音を今回も、そのまま使用しております。
ファイナルの時には、そんなに違和感は無かったのに
悲しいかな、今回は既にはっきりと子供と大人。
幼さは求めてはおりませんでしたが、危うさも
もう何処にも残っていない。

行水の盥も、本当に大きいよ。(^_^;)
でもね、もう刺々しい尖った身毒は観られないけれど、
代わりに演者としての今在る竜也さんの器が、
どれ程大きなものとなっているのかが解かります。

竜也さんの大人の色気漂うと言うよりは、例えば大きな
お釈迦様の両の掌の中に乗って、守られている如き
安息感とでも申しましょうか。
って、解かり辛いですよね。(ーー;)
ずっしりと重圧感で圧迫されているのに、意識は
天へ解き放たれていると言うか。
もっと解かり辛いですか…うーむ。(=_=)

今回ワシントン公演用に再演出されているので、
せんさくを犯すシーンでシャツを剥ぎ取るだけだったり、
判子の踊りの立ち位置(胸を顕わにした相撲取り)を
なるべく目立たない様に変更したり、細かな処を
弄ってはいるのですけども…
とても残念なことに、私の一番好きなシーンが
大きく削られておりました。

眼を潰された身毒が、卒塔婆の前で独り家族合わせを
する幕。
札を配る間、台詞の間が尽く短縮され何よりも、
胸元から出した母の写真を千切りながら涙を流す
シーンを、無くしてしまった。
どうしてなの?蜷川さん。
写真を千切るあの所作は、直後に続く撫子との
掛け合いに向けて、物凄く重要な要素を含んでいました。
母恋慕との決別、女撫子との呼応。
悔しくて、拳をぎゅっと握り締めた。

他にも、歯痒い点多数。
品川徹氏のお父さん、至って普通の然としたおじいちゃん。
身毒丸の世界観には、三谷昇さんの様な怪演が映える。
白石さんの身体のキレ、蘭さんの声の張り。
ファイナル時の面影無し。
お疲れなのならば、きっとさいたまでは復活している筈。

ワシントン公演は、現地の方々の反応から確かに
成功だったと言える。
此処からは、長い日本公演。
初演やファイナルを観ている人が沢山居る。
当然、評も厳しくなると思います。
身毒の御髪がさらさらと揺れないとか、小さな問題。
私の望みは、芸術としての身毒丸の復活。
さいたま公演が、待ち遠しくて堪らない。

竜也さん、体調も宜しいとお見受け致しました。
カーテンコールでは、初登場時からこぼれる笑顔。
こんなに嬉しそうな、不安を抱いていない御顔は
久し振りに見た。
日本で待っていた私達の気持ち、少しは感じ取って
下さったのかと思うと感無量。

しかし私が点を付けるなら、厳しいと言われようとも
身毒丸の舞台としては、40点。
進化を、切に願う。


戻る