ロープ・慕情雑記。

何故この時代に、ユダヤなのか、ベトナムなのか…
ずっと観劇後考えていました。

ベトナムの問題は、直ぐに解決しました。
この戯曲の題材の原点は、前面に出て来ているプロレスでは
ありません。
野田氏の頭の中には、先ずこのベトナムの村のこと
ありきで、その後に実況⇒プロレスと繋がったと
私は解釈致しました。
ですから、他の国で代替出来るものでは無く
『ベトナムでなければならなかった』のだと思いました。
幾度も繰り返す『べトコン』と云う台詞が強烈過ぎて
陰に隠れてしまっているのかもしれません。
べトコンから、野田さんが観客に想像して欲しかった
真の意図は、呼んでいた『アメリカ』側では無く
呼ばれていた『ベトナム』側に思いを馳せて欲しかったと
私は感じました。

ユダヤは、今も未だしっくりとした答えが見付かって
おりません。
ユダヤの人々は、独自の宗教を持ち血の濃い優秀な
民だと私は思っています。
芸術や頭脳が、他の民族よりも秀でているのではないかと
思う理由は色々ありますが、歴史上抑圧され其れでも
途絶えぬ優れた能力は、誰にも奪うことが出来ぬものの
証ではないのかと。
力尽くでも、真似でも奪えないものの喩え。

何故ユダヤであってナチスを用いなかったのか。
何故ベトナムであってアメリカを用いなかったのか。
もしかすると、虐げられる側の情感を強烈に汲み取って
貰いたいのではないか。
もう少し拝見してから、じっくりと考えたいと思います。

楽曲も気になっています。
劇中でもカーテンコールでも使われている、
Gilbert O'Sullivan
の『Alone Again』。
CM
でも有名なので、もう頭の中でエンドレス
ローテーション。(爆)
キャラメルボックスさんのお芝居でも御座いましたね、
アローンアゲイン。(^_^;)
爽やかで心地好いサウンドなのに、歌詞はとても
物悲しい。
野田さんの琴線に、何処が触れたのだろう。
Talk about God
and His mercy Or if He really does exist
Why did He desert me in my hour of need
〜中略〜Alone again, naturally
この辺りでしょうかねぇ…

其れから、何故タイトルが『ロープ』なのか。
今回『キル』や『オイル』の様に、直接的な詞は
見当たりませんでした。
ですが拝見した限り、網の目の様に絡み付いた
呪縛の痛みがずっしりと伝わって参ります。
有刺鉄線の針金(ゴム製ですが)が登場したことも
唸る伏線でしょう。

実際のリングのロープ(是もゴム製ですが)は、
プロレスでは跳ね返るものとして演出上不可欠なもの。
そして唯一ピンチの際に助けを求められる、逃げ込める
存在。
大変興味深いのは、竜也さん演じるヘラクレスが
其のロープから跳ね返ることを自ら抑制する働きを
戯曲内で与えられていること。
前半部分からも後半部分からも、其のことが鮮明に
示されています。
ノブナガは、呪縛を断ち切ることの可能な救世主なのか…




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